映画のおはなし

「映画の夜明け」

https://www.youtube.com/watch?v=EXhtq01E6JI

(世界で初の実写映画と呼ばれる「工場の出口」1895年、ルイ・リュミエール)

1895年リミュエール兄弟によって誕生した映画。それは、奇術的なもの珍しさから人気となったが、やがて飽きられてしまう。しかし、二つの要素が映画の魅力をよみがえらせる。

戦争(戦意高揚に役立った)と物語(始めがあり終わりがあるという世界)。

物語の題材は、みんなという共通前提が必要とされ社会的大事件、おとぎ話、三文小説などが選ばれたそうな。中でも、世界中で一番売られている本、「聖書」が題材として多く取り扱われた。

その当時の代表的人物、ジョルジュ・メリエスジョージ・アルバートスミスシャルルパテと呼ばれる人たちだ。この人たちの関わりにより、科学的な見世物から、徐々に興業的な大きなものへと移行して行く。

https://www.youtube.com/watch?v=_FrdVdKlxUk
(世界初のSF映画と呼ばれている「月世界旅行」1902年、ジョルジュ・メリエス)

ジョルジュ・メリエスは、最近の映画で、『ヒューゴの不思議な発明』で取り上げられていたのでそちらをみれば、メリエスがいかに偉大であったかが分かるだろう。


(ジョルジュ・メリエスが大活躍する映画「ヒューゴの不思議な発明」)

400px-George_Melies
(メリエスはこんな人)

そして、世界各国で映画会社が生まれる。

そんな中で、あの電球を発明したエジソンが映画の特許を取得して、エジソントラストを設立し、アメリカの映画独占を企てる。エジソンは、電球を発明した偉人なんて言われることが多いが、実は、映画界にとっては、最低なクソ野朗だった。そんな彼に反発して、他の映画会社は、エジソンの手の届かないハリウッドに拠点を移す。もちろん、気候条件もよく地理的環境がよかったということもあったのだ。まぁ、エジソンがクソ野朗だったおかげでハリウッドが誕生したわけだ。

「第七芸術と呼ばれている映画は所詮、物真似の集積物でしかない」

そうやって、アメリカでは映画が産業として盛り上がっていく。一方、映画発祥の地であるフランスでは、映画に対していまでも日常的に使われている、「第七芸術」という言葉が生まれる。現代芸術に深かったカニュードっていういかにも生意気そうなおっさんが「第七芸術宣言」(1911年)なんて本で言い出すのだが、その中で、これまでの芸術は、二つに分類されるという。

「音楽・舞踏・詩」の時間芸術と、「絵画・彫刻・建築」の空間芸術

そして、これら二つの要素「時間・空間」を映画は、あわせ持ち「第七芸術」だと宣言し、これまで大衆娯楽の一部だった映画を芸術として新たな価値を見出そうとした。で、ここからがぼくの解釈なのだが、この二つなくして成り立たない映画は、所詮なにかの物真似の集積物でしかないのではないかと。ありとあらゆる既存のものを利用し作り出し、フィルムという2次元にまとめていく作業が映画なのだ。

その根拠となるのが、1908年に監督デビューし、「映画の父」なんて呼ばれるD・Wグリフィスの撮った映画を観れば分かるだろう。まぁ、個人的にグリちゃんのことを、「最低で最強な映画監督」と称しているんだけど、なぜ最低かは、グリちゃんが撮った「国民の創生」っていう映画を観れば分かると思う。

ストーリーはとにかく人種差別万歳のウンコを投げつけたくなる内容だが、いまでも受け継がれる映画の技法が、絶好調の快便のごとく盛りだくさんなのである。

グリちゃんが編み出した技術として、クローズアップ、カットバック、フェイドイン、フェイドアウト、ラスト・ミニッツ・レスキュー(土壇場での逆転劇の演出のこと)を編み出した。(ただ、この時期の映画監督で唯一大量にフィルムが残っていたのがグリちゃんで、他のフィルムが残っていない監督もあみ出していたなんて諸説あるが)

この技術をどうやって考えたかというと、この当時の映画が演劇の延長でしかなかったが(ただカメラをおいて撮っているだけ)、映画は、演劇よりも小説に近いのではないかという発見をし、カメラをさまざまな位置に置き編集するテクニックなどを発明するわけだ。これらの技法はいまでも当たり前に使われている技術であり、それ故に映画はあらゆるものの延長線上にあり、物真似の集積物でしかないとぼくは思う。

https://www.youtube.com/watch?v=YjnA0xWalQQ
(「国民の創生」1915年、D・W・グリフィス )

David_Wark_Griffith_1916
(グリフィスはこんな人)

「エイゼンシュテインのモンタージュ」

さて、D.Wグリフィスについての話をしたが、ここからも、グリちゃんに触れつつ展開していく。ちなみに、グリちゃんとか気軽に呼んでいるけど、死人にくちなしである。ブリトニーの愛称、ブリちゃんみたいで可愛くていいじゃないか!よっ、グリトニースピアーズ!!

グリフィスことグリちゃんは様々な技法を編み出したと前回書いたが、モンタージュなんていう考え方をあみ出した事もいっておかなければならない。

そもそも、モンタージュの意味が分かりますか?モンタージュとは、「悶絶助けてジュンジュワー」の略です。

グリフィスモンタージュと呼ばれているものがあり、これは一つのシーンを様々なところから撮影してそれをつなげるとダイナミックな映像になるという手法。グリちゃんの場合だと、一つのシーンを撮影するときに複数のカメラを置いて様々なアングルから撮るマルチアングルでそれを成立させていた。もちろん、そんなことをしていたら莫大な金がかかり、制作費はとんでもない額になっただとか・・・・。それ故にグリ野朗は自滅して映画を撮れなくなってしまいます。

哀れなグリ万之助。

一方、エイゼンシュテインモンタージュと呼ばれるものがある。

これを書く前にエイゼンシュテインの説明をしたほうがいいだろう。彼の本名はセルゲイ・M・エイゼンシュテイン、以下長いのでエイちゃんと呼ぶことにしよう。

旧ソ連の映画監督で有名な映画だと「戦艦ポチョムキン」なんて映画がある。それを知らないで、おれは映画好きだぜって言っているやつがいたら、この映画のごとく反乱を企てて2度と映画好きと言えないようにしちゃいます。

この映画で最も有名な「オデッサの階段」の場面はモンタージュのオンパレードである。ちなみにこのシーンは、あの有名なデパルマも「アンタッチャブル」の中で真似ている。

エガちゃんが考えるモンタージュとはいったいなにか。それは、全裸になり「1クールのレギュラーより1回の伝説」を残すことだそうだ。

あれ、なんか違うぞ・・・・・。あっ、エガちゃんじゃなくてエイゼンシュテインこと、エイちゃんだ。それでは、改めて、彼が考えるモンタージュは、日本の俳句、漢字、短歌などにヒントを得て確立したものである。

そのへんのことは、エイちゃんの書いた「映画の弁証法」なんて本にくわしく書いてあるから、読んでみれば分かると思う。まぁ、私的にまとめると、エイちゃんが考えるモンタージュは一見無意味なカットをあわせることで、それが新たな意味を持たせるという考え方。

具体的な例として、太ったババァのカットの次に汚い豚のカットをはさむみたいな感じかな。まぁもっとぶっ飛んだ組み合わせでもいいけど、この二つが対立することであらたな衝撃的な価値ガ生まれるという考え方。そのことを弁証法なんていって研究しながら映画を撮っていた。

また、エイちゃんは、映像だけでなく音にもモンタージュがあるのだと言っている。この辺のことは、後のゴダールがやりだしたソニマージュなんかにも引き継がれていくのだろう。あと、エイちゃんの写真とかみると、「イレイザーヘッド」の主人公かなぁって思うのは自分だけだろうか。


(「戦艦ポチョムキン」1925年、セルゲイ・エイゼンシュテイン)

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(エイゼンシュテインはこんな人)

 

「ヒットラーを映画で支えていた女性」

エイゼンシュテインについて主に書いたが、彼の有名な映画、「戦艦ポチョムキン」についてもう少し触れたい。その映画は、ロシア革命を背景にしているのだがそんなこともあってか、共産主義を助長するとされて海外ではいろいろと検閲があったようだ。

映画は、政治ともに進化していったといっても過言ではない。初回で書いたように戦意高揚のために用いられていることがたびたびある。

その例として、レニー・リーフェンシュタールについて書いていこう。

以下、レニーと呼ぶことにする。ちゃん、とはつけません。なぜなら、ちゃんとかつけて、ナチスの残党に目をつけられたくないので・・・・。

レニーちゃんが撮った有名な映画、「意思の勝利」(1935年)、「オリンピア二部作(民族の祭典・美の祭典)」(1938年)が挙げられるだろう。

「意思の勝利」は、ナチスの第6回全国党大会にて様々な、演出や技法を凝らし、いかにナチスが凄いかを映画でみせつけたしろもの。

「オリンピア」は、ベルリンオリンピックの記録映画。僕はこの映画を「最も美しく恣意的な嘘に満ち溢れたドキュメンタリー」と称している。

それは、実際の競技時には上手く撮影できなかった競技を、後でその選手を呼んで映画のために取り直しなどの多くの嘘が存在するからだ。つまり、いかにこの大会でナチスが凄かったかを物語る形になっている。だが、撮影、編集それら全てが美しく芸術的だから始末が悪い。

https://www.youtube.com/watch?v=lLnGqMoNXRI
(「民族の祭典」1938年、レニ・リーフェンシュタール)

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(レニーリーフェンシュタールはこんな人。もとは、舞踏家その後は、女優としても活躍していたので美人だね)

このように、ナチスは意識的に映像の力で自らの凄さをみせつけ、さらに国民を駆り立てていた。そんな、映画の力を使い人々を啓蒙しようとしている作品は、挙げればきりがない。

あのディズニーですら、「空軍力による勝利」なんて映画で戦意高揚に加担している。また、戦意高揚以外にも思想的に啓蒙してしまう力があるのが映画の恐さだ。オウム真理教とかもかつて映像に乗り出し、最近だと○○○○とかも作ってるよなぁ・・・・。

この辺のことも、冒頭に書いた、初期の映画は、聖書を引用した映画が多かったなんて述べたが、宗教と映画は非常に親和性の高いものだと思う。だからこそ、映画というものは実に恐ろしいもので、独裁者や権力者も魅力を感じる代物だということを肝に銘じておこう。

ちょっと、話を戻して、そんなナチスの映画を撮っていたレニーちゃんは、あっやばい、ちゃんづけをしていた、もうダメだー。

レニーと美味しいレストランは、戦後、ナチスに加担したとして拘禁されるが、1952年に無罪となり開放される。(本人いわくナチ党員ではなく、ただたんに美しさを求めて、映画を撮ったのだとか)ただ、その後は映画を撮れず写真家として2003年まで生きつづけた。

ここまで、ざっと映画の歴史をまとめてみた。ただ、これはほんの一部分である。今後も、暇をみつけて書いていきたい。

おわり

参考:「映画史を学ぶクリティカル・ワーズ 」,フィルムアート社,村山 匡一郎 (編集),2003年

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